Girls in the garage 熱血死闘編/ランナウェイズの系譜




「パンク大好き、ロックには興味なし」という筆者が、The Runaways の遺産に気付 いたのは、実を言うとごく最近のことです。Girl Garage Band に興味を持てば、避け て通ることのできないグループであることに加え、Joan Jett が LA・パンク形成期の中心 人物だったことを知ったのがきっかけでした。そこからJoan Jett and The Blackhearts, The Bangles, The Go-go's といった一連のガール・グループを聴き直す、或は、初めて聴 くことになりました。  

The Runaways は、プロデューサー Kim Fowley の企画により、ロスで結成されました。 初代のメンバーは Michael Steele, Sandy West, Joan Jett の三人です。因みに、この 三人による音源は、1993年にアルパム Born to Be Bad として、約二十年の時を経て世に出ています。

その後、19才の Michael Steele は歳を取り過ぎている(!)ということで脱退。何度かメンバー ・チェンジを繰り返し、Vocal に Cherie Currie を迎えたことで、ここに平均年令16才という オール・ガール・バンドがデビューを飾ることになります。このバンドが画期的なのは、年令 もさることながら、メンバー全員が女性であるロック・バンドの存在を世界に知らしめたこと にありました。

日本人には馴染みの深い Runaways ですが、実を言うと Runaways そのものは米本国では、 それほど人気があったというわけではありません。なぜか日本でだけ大人気で、このため Runaways の日本公演は実に一ヶ月にも及び、オフィシャル・アルバムで「Live in Japan」 が発表された他、篠山紀信による写真集が存在するほどです。Runaways が世界的に知られる ようになったのは、その後のメンバーの活動による所が大きいのです。

The Runaways
"Edgeplay: Film About the Runaways (Full)"
DVD
Runaways の結成から解散をインタビューで構成したドキュメンタリー。制作に五年を費 やしたいうことだが、これまで持っていた Runaways に関するイメージを根底から覆す衝撃的な内容である。 日本盤未発売、Region-1 であるのが残念。

Kim Fowley
「Runaways とは、ある目的のために、異なった背景を持ったメンバーが集められた、 いわば召集された部隊、楽器を持ったスポーツチームのようなものだ」
Jackie Fox (bass)
「私は後にも先にも Cherie ほど自己中心的な人には会ったことがない。Lita は ただのあばずれ。Sandy はいい人だけど、誰にでも簡単に言いくるめられてしまう。 Joan は最も落ち着いた性格で、必ずしも仲の良くなかった私たちの間を取り持って くれたのが彼女だった」
Jackie Fox (bass)
「Kim は bass に私を使わないことに決めて、私をスタジオの外につまみだした。 替わりに雇われたのは Blondie の Nigel で、彼が私の bass に似せてレコーディング したの。だから実質的に 1st album で私は bass を弾いてないのよ」
Sandy West (Drums)
「そうね、確かに Kim は精神的にメンバーを虐待していた。性的虐待があったのか? それはこっちが聴きたいわ」
Cherie Currie (Vocal)
「Kim は私たちを場末のホテルに一室に集めてこう言ったの。『お前たちに正しい ファックのやり方を教えてやる』って。……父には言えなかった。父が知ったら、 間違いなくアイツを射殺してたわよ」
Liat Ford (Guitar)
「Jackie は (日本公演の時)自殺を図ったのよ。あはははは……」
Cherie Currie (Vocal)
「Kim に虐められて、Jackie はひどく落ち込んでいたし、孤独を感じて いたようだった。ある日、Jackie のベースが放り出されていて、それは誰かが わざとやったのかもしれないし、Jackie 自身がそうしたのかもしれない、 とにかくベースはスタンドから落ちて壊れてしまったの。私は Jackie の様子に 不穏なものを感じて彼女を追っていった。するとマネージャが私を遮って、「彼 女の所へ行くな。彼女は大丈夫だから」って言ったのよ。私は「そこをどきなさ いよ、この糞野郎」って怒鳴ってやった。
Jackie Fox (bass)
「私はもう自分が嫌で仕方なかった。だから、そこにあった瓶を叩き割って、自分 の腕を切ったの」
Cherie Currie (Vocal)
「私は動転していて、その時のことは良く覚えてない。自分も手を怪我したけど、 とにかく Jackie からガラスを奪い取ったのよ。……これで終わりだと思ったわ」
(日本公演の途中で Jackie は Runaways を脱退、単独帰国するが、これが その真相である)
Sandy West (Drums)
「自分にはなぜ Runaways が解散しなければならなかったのか分からない。 Runaways を駄目にしたのは、周りにいて私たちを操ろうとしていた馬鹿野郎共よ。 悪いのは私たちじゃない。なのになぜ私たちが? 誰か教えてよ」
Sandy の母
「私たちは無力で神様にお祈りすることしかできなかった、娘は家族の誰とも 会おうとしなかったから……。Runaways の解散は娘にとって失望だったかもしれな い。けれど、私たちはやっと安心することができたのよ」

このフィルムに現在の Joan Jett は一切出てこない。 Michael Steele に至っては 名前すら語られることがない。Runaways以降に成功した二人は、Runaways に複雑な 思いを抱いているのかもしれない。
なお、このドキュメンタリーは Suzi Quatro に捧られ、最後は Suzi の 「悲劇の子供たち (Kid with tragedy)」で締めくくられる。


The Runaways / Self-titled
純粋に音楽的なことを言えば、名曲の「Cherry bomb」を除くと、 かなりもたつく印象は拭えない。アマチュアに近い状態のバンドをオーバー・プロデュ ースしている所がわざとらしいし……とはいうものの、Cherie のヴォーカルには目を瞠る ものがあるし、joan のギター等、聴き所も沢山。ガール・バンド好きなら必携の、歴史的 一枚であることには変わりはない。


日本公演は Runaways の歴史のハイライトとなりましたが、この時からグループの崩壊が始まりました。 Jackie Fox の脱退だけでなく、Cherie ばかりに注目が集まった結果、メンバー間の不和が限界に達し、 日本公演からの帰国後、Cherie も脱退してしまうからです。それでも、残されたメンバーにより暫く Runaways は存続しました。 1978年にはメジャーとの契約も切れ、UK のインディーズ、Cherry red records より And Now... The Runaways を出しています。なお、ここで Right now, Black leather の曲を提供しているのは、Sex Pistols の Steve Jones と Paul cook です。

しかし、Runaways が再び浮上することはありませんでした。パンク寄りの Joan Jett とハード ロック寄りの Lita, Sandy との対立は避けられないものとなり、1979年、その短い歴史に幕を閉じます。

80年代を迎え、元 Runaways の、それぞれメンバーは自分の道を歩き出します。その中で最も 大きな活躍をしたのが、Joan Jett でした。Runaways 解散後、ロスに戻った Joan Jett は、 そこに育ちつつあったパンク・コミュニティの中心人物となりました。特筆すべきは、The Germs のアルバムのプロデュースを行ったことです。

"The Germs"
Germs (MIA) - The Complete Anthology
"X" と並んで、LA original punk の顔ともいうべきグループの全音源 30曲を 収めたアンソロジー。音としては、original punk と USA ハードコアを結ぶ音となっている。 パンク・ファン以外には勧めにくい内容ながら、その筋では一級の作品集。1st Album "GI" からの 16 曲が Joan のプロデュースだが、次のような証言が残っている。
「ジョーンは使えない。だって寝てるんだもん」


Queen のロス公演時、ホテルでメンバーを待ち伏せていた二人の女の子がいました。 Lorna Doom と Dotti Danger、彼女たちはそこで、The germs の Derby Crash, Pat Smear と出会うことになります。そして、二人は The germs の メンバー となります。 Lorna Doom は、その後、最後まで The germs のベースを続け、主要な録音の殆ど全て に参加しています。が、Dotti Danger は練習に参加することもないまま、The germs を 離れてしまいました。The germs が彼女からなにがしか得るものがあれば、その後の シーンは劇的に変わっていたかもしれません。The germs は彼女から何も吸収することは ありませんでしたが、Dotti Danger の方は、この経験に大いに触発され、自分のバンドを 持つに至ります。彼女こそ Belinda Carlisle。後に The Go-go's を結成するのです。

「Go-go's を見た時、(The germs の) Derby は「あんなの良くないよな」って言ってたんだ。 だけど、Go-go's がヒット・チャート一位になったのを見て死んでたよ。」

"The Go-go's" / Vacation
パンクからの影響、60年代テイストをうまく消化しつつ、ポップス に昇華した名盤。超有名なアルバム・タイトル曲を始めとして、The Go-go's の三枚の アルバムの中で最も曲が充実していると思う。だが、今いち評判が良くないのは、 曲が漫然と並んでいるせいであろうか。是非、自分の好みで並べ替えて聴いてみてほしい。 The Go-go's が類稀なグループであったことが分かると思う。


The Go-go's は3枚のアルバムを発表後、解散しましたが、Belinda Carlisle は、その後 もソロとして活躍し、No.1 ヒットを飛ばしました。このことから見ても、その才能は本物だ ったと言えるでしょう。一方の The germs は現役時代には全く認められることなく、1st アルバム発表後は急速に勢いを失い、Derby Crash の悲劇的な死によって、その幕を閉じる ことになります。ガール・フレンドとお互いにヘロインを打ち合い自殺したのです。

「シド・ヴィシャスと会った時に破滅型の人間だと直感したのと 同じように、ダービーに初めて会った時も破滅する運命にある 男だと直感したんだ。・・・人間の精神にとって有益となる役割 を演じるために、一時的に魂と肉体がこの世に存在し、役割を 終えたら去っていく。彼らがその役割を全うした栄誉を称える べきだ」

「人って、神やアイドルを作りあげるのが大好きだから、 ダービーのことを神格化する気持ちは分からないでもないわ。 でも、あのような方法で自殺してしまった人に対して、心から リスペクトすることはできない」




さて、The Runaways の初代メンバー Michael Steele ですが、私たちは意外な所で彼女に再会することになります。 1980年、Vicki, Debbi 姉妹が新聞に出した公告に Suzanna hoffs が応じたことで、ロスにまたひとつ、オール・ガー ル・バンドが生まれました。このバンドに Michael Steele が加わり、The Bangles としてデビューを飾ったのです。


"The Bangles"
All Over the Place
The Bangles を聴こうと思ったのは、バロック・コーラスをやるグループがあるという 噂を聴いたから。現代版 Shangrilas を思い浮かべていた自分としては、 狙いは半分 当たったが、半分は外したといった所。全員がヴォーカルを取ることのできるこのグル ープの特徴は圧倒的にコーラスにある。この 1st アルバムは最高80位とセールスとして は奮わなかったが、有名になった後の The Bangles しか知らない人にとっては意外と感 じるであろう The Bangles の本質、つまり、Garage Band としての The Bangles を聴く ことができる。また、このアルバムについては、一曲を除く全曲がオリジナルであり、作曲 やリードヴォーカルも、メンバー仲良く均等に配分されている。但し、Michael Steele は 作曲をしていないためか、彼女のリードはない。

"The Bangles" / Greatest Hits
The Bangles の活動を網羅したベスト。殆どは 2nd から 3rd から選曲されている。 (1st "All over the place" からは二曲のみ) The Bangles の出世作となった 2nd 「 Different Light」発表時、ヒット曲は、Prince 作の "Manic monday" を始めとして、その殆どが過去の名曲だったり、他人の曲だったことが分かる。 3rd になって、再びオリジナルに挑戦、そこから Suzanna Hoffs作 "Eternal Flame" の No.1 ヒットが生まれた。皮肉なことだが、 このヒットが Suzanna Hoffs にソロの道を開くことになった。 有名になるにつれ、The Bangles は Suzanna Hoffs のグループというイメージが出来上がっていった結果、 メンバー間に不協和音が起きていたのである。 The Bangles は結局、活動を停止してしまうのだが、Suzanna自身もその後二度とThe Bangles のいた所まで登ることはできなかった。


ロスにおけるシーンの活況を横目に、ソロの道を歩き始めた Joan Jett にとって、その道は平坦ではありませんでした。契約しようとして断られたレーベル の数は実に23に及び (このことからも Runaways がアメリカでは認められていなかった ことが分かる)、結局はヨーロッパのレーベルと契約、1st Album 発表しました。 その後、自分のレーベル Blackhearts Record を設立、"I love rock'n roll" を発売します。 この曲が8週連続の全米#1の快挙を成し遂げるのです。


"Joan Jett & The Blackhearts"
I Love Rock N Roll
良くも悪くもハード・ロックであって、もともとロック嫌いの筆者がコメントを述べるのは 適切ではないと思う。Joan はパンク寄りだったというが、このアルバムを聴いても全くその影響は感じら れない。尤も、Joan がパンクにこだわってアルバムを作っていたなら、悲惨な運命が待っていたことだろう。
余談であるが、タイトル曲の "I love rock'n roll" は当初、Runaways で録音しようとしたが、 他のメンバーの反対で実現しなかった。Jaon も、さぞ溜飲を下げたに違いない。


"Joan Jett & The Blackhearts"
Pure & Simple
そこでお勧めしたいのがこのアルバム。ついにアメリカもパンクの時代を迎え、Riot Grrrl への参加等、 常にロスのパンク・コミュニティの中心にいた Joan が、本格的にパンクを取り入れたアルバムである。こ のアルバムでは Bikini Kill の Kathreen Hanna が四曲を提供している。またバラード、ロック等、バラ エティに富んだ楽曲が、ここではお互いを引き立て、聴かせるアルバムに仕上がっている。Joan も大人にな りましたといった所か。 しかし、難しいもので、このアルバムは従来のロック・ファンを振り切ってしまった。この後、Joan は 長い低迷期に入る。


Runaways のその他のメンバーについても、補足しておきたいと思います。 Runaways を飛び出し、ソロの道を進んだ Cherie Currie ですが、映画に出演 したり、双子の妹 Marrie とアルバムを制作する等、その活動は多岐に渡るものの、 その後、二度と再び、Runaways にいた時のような注目を集めることはありませんでした。

Lita Ford は別人のような容姿となって、再び我々の前に現れました。一時期は Ossuy Osbone とのデュエット曲で Top10ヒットを出し、また W.A.S.P のギタリスト、クリス・ホルムスと結婚するなど、 一時期は羽振りが良かったものの、満を持して発表したDangerous Curves がこけ、この結果にいたく失望して、契約していたレーベルも辞めてしまい、その後はマイペースに活動を続けています。

Jackie Fox は大学を卒業し結婚もしましたが、その後もずっとショウビジネスに関わり続けています。今では Runaways のメンバーであった思い出を大切に感じているとのことです。

Sandy West にとって Runaways はある意味、人生の全てであって、現在もかつてのメンバーと折に触れ音楽活動を行い、その関係 を繋ぐ役割を果たしています。

"Lita Ford" / Lita
筆者未聴のためコメントなし。


伝説となった Runaways には、今もなお再結成の噂が絶えることはありません。 2002年 8月 17日、Joan Jett はショーの終わりに観客にこう呼びかけました。 「ここでゲストを紹介するわね。私の古くからの大切な友人で、私たちは昔、ランナウェイズ というバンドで一緒に演奏していたの。……チェリー・カーリー!」 Cherry Bomb の演奏が始まった時、会場は揺れるほどの歓呼に包まれたといいます。