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雑萃

昔はよく読書して気に入った箇所をノオトに書き抜いていたのだが、最近はさっぱり。昔のノオトが出てきたので、何かのよすがに、ここにオリジナル箴言集として書き連ねてみる。しかし、殆どこれは露出趣味だな。


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われわれの人生の地図は折りたたまれているので、中をつらぬく一本の大きな道は、われわれには見ることが出来ない。だから、地図が開かれていくのにつれて、いつも新しい小さな道が現れて来るような気がする。われわれはその都度道を選んでいるつもりなのだが、本当は選択の余地などあろうはずがないのである。

ジャン・コクトオ「大股びらき」

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生活はすべて次の二つから成り立っている。したいけれど、できない。できるけれど、したくない。

ゲーテ「格言と反省」

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誰にせよ、何事からも従って書物からも、自分がすでに知っている以上のものを聞き出すことはできないのだ。体験上理解できないものに対しては、人は聞く耳もたないのだ。

フリードリヒ・ニーチェ「この人を見よ」

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人は自分の所有している生の中でよりも、自分の所有していない生の中でより多く生きるものだ。

バルベー・ドールヴィリー「真紅のカーテン」

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僕の欲念が僕にとっての一番確かな案内人だ。

アンドレ・ジイド「地の糧」

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青年の暴力を伴はない礼儀正しさはいやらしい。それは礼儀を伴はない暴力よりももつと悪い。

三島由紀夫「剣」

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不幸な愛というものは存在しない。人は所有していないものしか所有しないからだ。幸福な愛は存在しない。人は所有しているものをもはや所有しないからだ。

マルグリット・ユルスナール「火」

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気をつけろ、悪魔は年取っている、だから悪魔を理解するにはお前も年取っていなくてはならぬ。

ゲーテ「ファウスト」

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理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一体ソドムの中には美があるのかしらん?

ドフトエフスキー「カラマーゾフの兄弟」

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精神を凌駕することのできるのは習慣といふ怪物だけなのだ。

三島由紀夫「美徳のよろめき」

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吾が年若き友よ、汝等若し徹底的に飽迄厭世家たらんと欲するならば、笑いを学ばなければならない。

フリードリヒ・ニーチェ「悲劇の誕生」

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欲望する者の歓喜は大きい。が、あきらめる者の歓喜はもっと大きい。

リヒャルト・ワグナー

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何かにつけて青年が未来を喋々するのは、ただ単に彼らがまだ未来をわがものにしていないからにすぎない。何事かの放棄による所有、これこそは青年の知らぬ所有の秘訣だ。

三島由紀夫「暁の寺」

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無限定なものに対して責任を負うほど怖しいことがこの世にあろうか。しかるに青年の本質こそ無限定なのだ。

三島由紀夫「青年について」

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人生は成熟ないし発展ということが何ら約束されていないところにおそろしさがある。

三島由紀夫「若きサムライのために」

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未完の美は美ではない。その当然堕ちるべき地獄での遍歴に淪落自体が美でありうる時に始めて美とよびうるのかもしれない。

坂口安吾「堕落論」

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すべてを自己本位に造られたものと信じている高慢ちきな人間にして、もし全人類が絶滅したあとでも自然界が何ひとつ変化せず、星辰の運行さえ遅れもしないでいるのを見ることができたならば、彼はさぞかしびっくり仰天することであろう。

ド・サド「閨房哲学」

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人間というやつは、自分にもっとも必要なものを他人にやってしまうのが好きなものなのだ。それが寛大の泥沼というものだ。

オスカア・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」

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浅薄な人間に限って、自分は外見によって判断しないなどと言う。世界の神秘は目に見えぬものではなく、目に見えるもののなかにある。

オスカア・ワイルド「ドリアン・グレイの肖像」

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青春の特権と言えば、一言をもってすれば、無知の特権であろう。人間には、知らないことだけが役に立つので、知ってしまったことは無益にすぎぬ、というのはゲエテの言葉である。どんな人間にもおのおののドラマがあり、人に言えぬ秘密があり、それぞれの特殊事情がある、と大人は考えるが、青年は自分の特殊事情を世界における唯一例のように考える。

三島由紀夫「私の遍歴時代」

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他人が私に対する時、本当に彼にとつて興味のあるものは私の弱点だけだといふことも、たしかな事実であるが、ふしぎな己惚れが、この事実を過大視させ、もう一つの同じ程度にたしかな事実、「他人にとつて私の問題などは何ものでもない」といふ事実のはうを忘れさせてしまふことが、往々にしてある。

自嘲はもつとも悪質な自己欺瞞である。それは他人に媚びることである。

意識家ほど、他人の目に決して見えない自分を信じてゐる者はなく、しかしそのぎりぎりのところまでは、逆に他人にむかつて、自己解剖の明察を誇りたく、このたえず千変万化する妥協を以て、自分の護身術と心得てゐるのである。

三島由紀夫「小説家の休暇」

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もしも表現のもたらすさまざまの快楽がわれわれをいつも生気溌剌とさせていないならば、魂の認識だけでは疑いもなくわれわれは陰鬱になるだろう。

トーマス・マン「トニオ・クレエゲル」

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若さはいろんなあやまちを犯すものだが、さうして犯すあやまちは人生に対する礼儀のやうなものだ。

三島由紀夫「施餓鬼舟」

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召集令状をうけとつた男が入隊までの時間をどんな風に享楽し尽さうかと心を砕き、結局何もしないで過ぎてしまふやうに、快楽にははじめから無期限の前提と倦怠の危惧とが必要なのだ。

崇高なものが現代では無力で、滑稽なものにだけ野蛮な力がある。

三島由紀夫「禁色」

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典型的な青年は、青春の犠牲になる。十分に生きることは、生の犠牲になることなのだ。生の犠牲にならぬためには、十分に生きず、フランス人のやうに吝嗇を学ばなければならぬ。貯蓄せねばならぬ。卑怯な人間にならなければならぬ。

三島由紀夫「小説家の休暇」

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自分が或る力だと知ることは、残酷で、苦々しく、人を裏切り、疲労困憊させる多くの事柄、すなわち人生、の慰めとなるものだ。自己意識は名声よりも価値がある。自己意識は、最も純粋かつ最も優れた埃の念に結び付いている。運命を鎮めようとして、これほどのものを私は知らない。

バルベー・ドールヴィリー「思想の断片」

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人間の心の中には抜き難い売淫への愛好があって、ここから孤独への恐怖が生まれるのだ。人はふたりであることを臨む。天才はひとりであることを臨む。だから天才は孤独なのだ。栄光とは、ひとりのままにとどまりながら、特別な方法で売淫することである。/人間が高尚にも愛することへの欲求と名付けているのは、此の孤独への恐怖、他人の肉体のうちに自我を忘却しようとする欲求なのである。

シャルル・ボオドレエル「赤裸の心」

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世間は誤解によってのみ動く。すべての人が協和しているのは、普遍的な誤解によってである。なぜなら、もし不幸にして人々が理解し合ったなら、決して協和しえないだろうから。すぐれた精神のひと、すなわち、なにびととも協和しないひとは、愚かな人々の会話やくだらない書物を読むことも好むように順応しなくてはならない。彼はそこに、その疲れを償ってあまりあるだけの苦い悦びを見出すだろう。

シャルル・ボオドレエル「赤裸の心」

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君が常にいい趣味を持っているなら、それは君が自分自身を深く掘り下げる冒険を一度もしなかったからだ。君にいい趣味が全然欠けているなら、それは君が自分自身を掘り下げたその冒険が無駄だったからだ。

ポール・ヴァレリー「文学論」

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他人(よそびと)の如何にあるとも、己のみはかくはあらじ

「馬太伝」26章35

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君が最も巧みになすこと、それは避けがたい罠だ。

ポール・ヴァレリー「文学論」

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得やうとして、得た後の女ほど情無いものはない。この倦怠、絶望、嫌悪、何処から来るのであらう。花を散らす春の風は花を咲かした春の風である。果物を熟らす日の光の暖さは、やがて果物を腐らす日の光ではないか。現実なければ産れない理想は決して現実と並行しない。何たる謎、矛盾であらう。

永井荷風「歓楽」

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すべてのものを一瞬の相のもとに眺めなさい。

あなたの自我を瞬間の手に委ねなさい。

瞬間のうちに考えなさい。どんな考えも長く続けば矛盾になってしまう。

瞬間を愛しなさい。どんな愛も長く続けば憎しみになってしまう。

瞬間とともに誠実でありなさい。どんな誠実さも長く続けば嘘になってしまう。

瞬間に対して公正でありなさい。どんな公正さも長く続けば不正になってしまう。

瞬間のために行動しなさい。どんな行動も長く続けば過去のものになってしまう。

瞬間とともに幸福でありなさい。どんな幸福も長く続けば不幸になってしまう。

あらゆる瞬間を大事にしなさい。そして、物事の間に関連をつくらないこと。

瞬間を延ばさないこと。さもないと、煩悶を残すことになるでしょう。

ごらんなさい。すべての瞬間が揺籠でも柩でもある。すべての生とすべての死があなたには奇妙で新しいものに見えますように。

マルセル・シュウォッブ「モネルの書」

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人生は、退屈という自習監督に見張られた教室みたいなものだ、そいつはしょっちゅうそこに僕らをうかがっていいる、なんとかして、なにごとかに熱心に打ちこんでいるふりをしなくちゃならぬ、さもないと、そいつがやって来て頭をどやしつける。ただの二十四時間の連続に過ぎない一日なんて、耐えられたものじゃない。だらだら続くやりきれない快楽みたいなものだ、一日は、無理強いされた、長ったらしい性交みたいなものだ。

だから生活に振りまわされ、それ以外の事柄に対する意欲が刻々に押しつぶされるんつれて、味けない思いが訪れるのだ。

ルイ・フェルディナン・セリーヌ「夜の果ての旅」

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どうして一人の人間が理解を或るものに対してもつことができるか、もしも、その萌芽を自らのうちにもたないのならば? 私が理解すべきものは、私のうちに組織的に発展しなければならない、そして私が学ぶやうに見えるものは、生命の養分、刺激物にすぎない。

我等は、普通なもの、弊敏なものに、恐らく非常な力と努力とを必要としてゐるのか? なぜなら、本当の人間にとつては貧しい平凡事よりも、稀有で、非凡なものは、なにものもないからdせある。

ノヴァーリス「断片」

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独創性の悪口を言ふものが、必ず凡庸な偽善者である。

人が自分に不義な行為をした場合、その復讐をするのには、ただそのもに対して公明な態度を取ればいいといふ事実程、人間の良心と矜持とを、同時に満足させるものはない。

エドガア・アラン・ポオ「マルジナリア」

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気味が途方にくれてこまっているかぎり、それは、君が自然を忘却しているからである。というのは、君は自分でわざわざ不確定な恐怖と欲望を作り出しているのだから。

隠れて、生きよ。

エピクロス「手紙」

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私は何度かこの感受性といふ病気を治さうと試みた。それには二つの方法がある。濫費して使ひ果たすこと。もう一つは出来うる限り倹約すること。一見反対の効用をもちながら、併用することによつて効果を倍加する薬品があるのである。

感じやすさといふものには、或る卑しさがある。多くの感じさすさは、自分が他人に感じるほどのことを、他人は自分に感じないといふ認識で軽癒する。

感じやすさの持つてゐる卑しさは、われわれに対する他人の感情に、物乞ひをする卑しさである。自分と同じ程度の感じやすさを他人の内に想像し、想像することによつて期待する卑しさである。感じやすさは往々人をシャルラタンにする。シャルラタニスムは往々感じやすさの企てた復讐である。

三島由紀夫「アポロの杯」

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感じやすいこころをもつ者は、まったく当然のことだが、ひとつの不幸の現在によって他の多くの不幸の到来をまざまざと思いうかべ、こうして疾風の戦慄のうちに一切が入りまじり、分別も思慮もなくなってしまう。

ノヴァーリス「日記」

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恋愛にそなわる悲劇性は、「全世界でたった一人のあなた」なる精神主義が、万人一様のカンインにつながっているという事実に存する。

稲垣足穂「姦淫への同情」

 

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