闘 病 記 

新・史上最凶の乳ガン患者

復活編その1

 必死で睡魔と闘っているところに、さらに点滴で追い討ちをかけられ、もー限界というところに、やっとダンナと娘が到着。パンツもなんとか自分で履き替えられて、記録を頼んだところまでは覚えているが、そのまま引きずり込まれるように寝てしまった。あとで聞いたら、二人で手術室へ疾走するストレッチャーを追いかけながら、写真をバシバシ撮ったり、スケッチを描きまくったり、そのまま手術室にナダレ込もうとしたりして、うるさがられていたようだ。まったく、見舞客なんだから少しはおとなしくしてろっっ!。麻酔中には夢を見ていたんだけど、ガンになったり、それで死んだりした叔母が3人も出てきて「連れて行こう」とか「まだ早い」とか話してたのは、発覚の時からガンの家系かもしれないって、ずーっと気にしているせいだろうね。で、意識が戻ったのは、手術が終わって病室へ戻るストレッチャーの上。最大のヤマ場は、な〜んの自覚も無いうちに終わってしまって、拍子抜けだなー。しょーがないので、まだ体もよく動かないのに、同室の人にVサインなど出して、「手術成功!」の雰囲気を自分で盛り上げる。

 午後からは、いよいよ抗ガン剤の点滴だ。まずは吐き気止めのカイトリル。という事は、やっぱり副作用がきついんだろうから、早くおしっこにして出しちゃえと、看護婦のねーちゃんが困った顔をしているのを尻目に水をグビグビ飲む。いいじゃん、ドクターは「絶対飲んじゃダメ」って言ってないんだから。その後、点滴をシクロフォスファミド、アドリアマイシンとかえて、えんえん夕方まで続くので、家族には家に帰ってもらう。まだ少しふらふらするけど、手術のあとも痛くないしね。しばらくしておしっこがしたくなったので、自分で起き上がってトイレに行ってみると、おおーーっ!!なんとアセロラジュースみたいな色ではありませんか。アドリアマイシンにも同じような色がついてたので、さっそく体じゅうをめぐって出てきたみたい。昨日のMRIの造影剤を入れたあとには、青っぽいトパーズ色になったので、これで三原色がそろって、なんかうれしい。でも、勝手にトイレに行ったので、看護婦に怒られてしまいました。ちゃんとおしっこが赤くなるか、確認したかったんだってさ。次はやっぱ「ネガイマース!ヨーベンネガイマース!」とやらなくちゃ。

 しばらくすると待ちに待った夕食だ。なんせ朝昼とメシ抜きなもんで、もー腹ぺこ。心配していた吐き気もないようだし、次々と平らげて完食してしまった。ところがこれがマズかったんですね。満腹なんで、食休みにベッドでゴロゴロしていたら、突然、胃の方から何かが込み上げてきた。ヤバイッ!慌ててトイレに走ったんだけど、ここのバリアフリーのトイレの扉は電動式で、開くまでにタイムラグがあるのを忘れてた。結局間に合わずに、洗面台にゲロゲロ〜。やっぱ、侮れまいしん抗ガン剤。あとで副作用について書かれた資料をよく読んでみたら、「食べてすぐは横にならずに、1時間ほど気を紛らわしましょう」とか「腹八分目にしましょう」とか、ちゃんと書いてあるじゃないか。こんなの予習しといたハズなのに、手術が終わって気が抜けて忘れちゃったか?。ま、出しちゃったら吐き気もおさまったようなので、ひたすら水分だけは取って、さっさと寝た。

 翌朝は、まだ吐き気が少し残っていたけど、吐き気止めの錠剤を飲んで、あちこちウロウロして気を紛らわしていたら、朝食もなんとか腹におさまった。でも、副作用はこれだけではなかったんだな。やたら嗅覚が敏感になり、たまたまとなりに来た見舞客が、香水つけたオッサレな爺チャンだったんでさぁ大変。5分もガマンできずに廊下に飛び出してしまった。手術のあとの方は、血抜きのドレーンもすぐに抜かれ、5センチ角ぐらいのガーゼが軽くはってあるだけだし、腕を動かすのも歩き回るのも、ぜんぜん問題無いんだけど、これには参ったね。それから、日を追うごとに髪の毛もぱらぱらと抜け始めたので、スカーフをまくことにした。でも、こんな頭でパジャマの上にカーディガンはおり、うーろうーろ歩いてる姿は、どこから見たってドラマに出て来るガン患者みたいで、みっともね〜。いっその事、うちに絵の具でよごれた白衣があるんで、あれをはおってようかとか思ったけど、そんなもん着たら絶対「○○さ〜ん、いかがですか〜。」なんて、医者のフリしてあちこちの病室をのぞいてまわりたくなるに決まってるし、今の段階でつまみ出されても困るんでやめといた。しっかし、手術までのテンションが張り切った日々に比べて、食って寝てときどき治療を受けるだけの、気が抜けたような生活はなんだ。これって花輪和一描くところの、妙に弛緩したムショの感覚とそっくりじゃんか。はたしてこんなんで、無事にシャバに復帰はできるのか?。


復活編その2

 さすがに入院4日目ともなると退屈してきて、いろいろと気にいらないことも出てくる。同室の人が仕入れてきた話によると、他の房、じゃなかった部屋にやっぱり乳ガンで、ごく初期なのに全摘手術を選択したのがいて、ひとの事を「あんなに若いのに温存なんて危ないわよ−」とかぬかしていたそうだ。あぁんだとぉぉー?。こちとら全力で調べまわって出した結論だ!。四の五の言われる筋合いはねーぞ。ケンカ売るってんなら、買ってやろーじゃねーか!。ま、その日に退院してっちゃったから血の雨はふらずにすんだけど、ムカつくな−。それと、はじめ同じ部屋にいたのにすぐに移されちゃった糖尿のオバハンが、何が気に入ったのか、しょっちゅうおしゃべりに来るのもうっとーしくなってきた。で、別にケンカできるほど元気になったからオッケーですと判断されたわけではなく、摘出した腫瘍の断端検査も陰性で追加手術の必要もないと分かったので、6日目で退院。ガンていうと長期入院がイメージだったから、意外にあっけない。支払った医療費も、入院・手術を含めて172,720円で、このうち92,530円は、高額療養費支給申請の手続きをしたら、3ヶ月ほど後に返ってきたから、これまた意外に安いのでビックリだ。出所祝いはカツ丼とビールってのが定番だけど、さすがに胃にもたれるんでラーメンにしておき、ダンナの運転する車で帰宅。

 さて、ちょうど年末とはいうものの、大掃除はしなくても死にゃしないので放っておいて、まずは周囲へのカミングアウトから。それまではごくごく親しい範囲に限って知らせただけだったけど、タイミングがいいので年賀状を使って一斉にやっちゃえ。それも、できるだけ正確な情報を伝えてやろう。これなら、話しが拡がるうちに尾ヒレがついて、ねじまがったウワサだけが一人歩きをするなんてこともないだろうからね。文面はこうだ。UNHAPPY NEW-GUN YEAR!とは、新年早々面妖なと思われるでしょうが、暮れの25日に左乳房の乳癌摘出手術を受け、29日に退院したもんで。現在抗癌剤投与中で、いずれは副作用でつるっパゲも確実とか。近々放射線治療も始まり、主治医は斯界の問題児・慶應病院の近藤誠講師だっ(笑)。幸いステージIIAで、廓清無しの温存手術を選択でき、摘出後の断端検査も陰性でしたが、5年生存率91%と言われても安心できません。春には、作品の形見分けセールをやる予定なので、札束持っておいで下さい。」こんなのが正月に来たら、さぞびっくりするだろうな−。なかには縁起でもないと怒る人もいるかも。おまけにその裏側はほとんどワイセツ物だし。しかし、これから始まる闘病生活にかけるエネルギーを、ぬるい人間関係の維持に使うのはもったいない。こっちの意気込みを理解できないような人とのつながりは、この際リストラしちゃいましょう。ちなみに、日ごろから情報通ぶって、人の不幸を平気で酒飲み話のネタにするような連中には、一切知らせなかった。なかには、かなり時間がたってから知って、慌てて聞いてきた奴もいたけど、まわりから「近所なのになんで知らないの?」と聞かれて、さぞや面目をつぶしたことだろう。がはははは、ざま−みろ。

 そんなわけで2004年の正月は、根掘り葉掘り聞いてくる奴に悩まされることもなく、ほんとに心配して連絡をくれた人に手紙を書いたり、初詣がてら散歩したり、ちょっと奮発してエステに行ったりしてのんびりすごした。この後は湘南で抗ガン剤の点滴を3週間おきに3回やり、それが終わったら慶應で放射線治療と、スケジュールをこなせばいいだけ。しかーし、実はその前にユーウツなものが待っているんですね。なんといっても抗ガン剤の副作用による脱毛だよ脱毛。この頃には毎日抜ける髪の量も、入院している時よりずっと多くなり、しょーがないからお掃除用の糊付きローラーで毎日片づけてたんだけど、いよいよそれも追い付かなくなってきた。そしてついに点滴してから17日目、なにげなく髪をかきあげたらなんと、そのまま抵抗もなくごっそり抜けてくるじゃぁないですか。ダンナが面白がって、うしろからそ−っと近づいてきては少しずつ抜いていくので、「いやーっやめてー!」と悲鳴をあげて逃げまわる。なんか、ひとの頭で遊んでるみたいだが、一応ショックなんですけどー。

 とにかくこのままでは、家じゅう髪の毛でえらい騒ぎになるので、覚悟を決めて風呂で洗髪。すると抜けるわ抜けるわ。ほとんど四谷怪談のお岩さん状態だ。あまりのすごさに、この感動をぜひとも分かち合いたいと、またまたダンナを呼んで「伊右エ門さーん、うらめしやー」とやったら、大いに受ける。バチが当たらないように、そのうちお墓参りにいかなきゃね。やっとのことで大量の髪を片付け終わって、風呂からあがる頃にはくたくたになってしまった。で、鏡を見てみると、まだ全部が抜け切ってなくて、あちこちに長いまままばらに残っている。げっそりした顔といい細い手足といい、これじゃ「指輪物語」に出てくるゴラムじゃん。ダンナにハサミで切ってもらっても、やっぱり完全にはなくならない。しかたなく速攻で電器屋から買ってきたバリカンで刈り上げたら、なんとか見られるようになった。ところが何日かすると、刈り上げたところが数ミリほどのびてくる。しぶといのが残っているな−。しかしこいつらも、引っ張ると簡単に抜けてしまうので、ガムテープを頭にはってべりべりと引きはがす掃討作業を続け、やっとのことできれいなスキンヘッドが完成。うーん、なかなかカッコイイじゃないか。ただし、下の方の毛もほとんど抜けて、まるで(以下自粛)状態になってしまい、トイレに行くたびに新鮮な驚きとゆーか、懐かしさとゆーかを感じてしまうのには参ったね。


復活編その3

スキンヘッドになる機会なんてめったにないとゆーことで、パンクロックのマネごとをしてる息子に、鋲だらけの皮のジャケットを借りて、お定まりの撮影ごっこ。しかしやっぱり素人の悲しさか、あんまりカッコよく撮れないんだよなー。所帯クサいのをかくすために背景をカーテンなんかにすると、まるで昔のスワッピング雑誌の投稿写真みたいじゃん。そこで頭に浮かんだのが、渋谷で写真スタジオをやっている、友人のカメラマンの存在だ。すでに病気の事は知っているので、「つるっぱげや手術のあともネタにして、ガンを笑い飛ばすような写真をとってほしい」と言う意気込みをメールで送ってみたら、おお、快く引き受けてくれるではありませんか。で、あ−しよう、こ−しようといろいろアイデアをやり取りしているうちに、やっぱこの際ですからフルヌードも、という方向に話が流れていくのは世の習い。うーん、何だか乗せられているよーな気もするけど、まぁ、いろんな意味で最後のチャンスかも知れないし。ちなみに、全部脱毛してしまったので、ヘアヌードは撮れません。

 もちろん、こんなことして遊んでばかりいたわけではなく、治療のスケジュールも粛々とこなしていかなくちゃ。まずは湘南で2度目の抗ガン剤。前回同様、点滴に時間がかかるので、ダンナに付き添ってもらって1日がかりだ。ホントはいちいち湘南まで行くのが面倒なので、いずれ放射線治療に通うことになる慶應で一緒にと考えて、年明け早々に近藤先生の診察があった時に相談したところ、これがなかなか難しいとのこと。なんせ同じ病院のドクターにも「近藤誠(フルネームで呼び捨て)のところへ行くなら紹介状は書きません。」と言われちゃうってんだから、村八分もフツーじゃない。おまけに永年の盟友・Aドクターには裏切られちゃうし。あんまりムカついたので、帰り際に「あたしは先生の味方だからねっ!」と言って来たけど、患者に元気づけられるってのも複雑な心境かも。湘南の村山先生も、そんなリスクのあるドクターと組むということは、それなりに思うところがあったんだろーね。優しそうな顔して「オッケー」を連発するのに似合わず、肝は座っているみたいじゃん。で、点滴のあとはやっぱり吐き気がひどくなって、帰りは車のシートでぐったり。でも、家へ帰って少し食べたらおさまったので、吐くのを警戒してお腹をすかせすぎているのも良くないのかもしれない。ところがやっと一段落したと思ったら、カゼ気味だといって帰ってきた娘が、夜になってどえらい熱を出し始めたじゃーないか。ヤバイ!インフルエンザか?抗ガン剤の副作用で白血球値が落ちている時は、感染症はかなり危ないらしい。病院で診てもらったら幸いただのカゼだったけど、さっそく娘は家庭内隔離され、食事はもちろん部屋でとらせ、手を拭くタオルも別にして、触ったところはすぐにアルコールで消毒するというアウトブレイク状態。そのおかげかは知らないけど、何とか感染されずにすんでやれやれ。

 そうこうしているうちに撮影の計画も進んで、2月のはじめにスタジオで、ということになった。抗ガン剤治療が終われば、また髪が生えはじめるし、放射線治療の間は胸に照射用のマ−キングを書かれてしまうので、その前に撮ってしまおうということらしい。げっ、それじゃああんまり時間がないじゃん。腹まわりに着いた余分なお肉をなんとかしなきゃいけないのに。というわけで、連日ウォーキングしたり、市民プールに通ったり、寝る前には腹筋だっ。それに、せっかく本格的に撮るんだから、やっぱりひとひねり欲しいところだね。鋲ジャケットとスキンヘッドという組合わせとくれば、パンクかゴシックかってとこだけど、これだけじゃあカッコつかないし、といって合わせる衣装なんかもあるわけがない。そこで慶應に行くついでに、ダンナに調べてもらったお店へコスチュームを探しに寄ることに。ところがこれが何と、あのオカマの聖地・新宿3丁目にあるというではないですか。ナ、ナゼなんだ〜!?。新宿生まれで、中学生ころまでこのへんを遊び場にしていたダンナに言わせると「べつにフツーの街だよ−。」とのことですが、なんか昔、初めて喫茶店に入った時みたいにドキドキするなー。店の前まで行ったものの、ふんぎりがつかずにうろうろしてダンナに電話し「ちょっとー店は見つかったけどさー、ホントに行くの−?」「なにいってんだよー、生娘じゃあるめーし、ズ−ズ−しい」とかやり取りしたあげく、やっと何とか中に入ったら…。(以下R18指定)

 怪しげな雰囲気にドギマギしながらも、「私は仕事で衣装を探しに来たんです!」という顔で平静を装いつつ、店内を見渡してみると、あるわあるわ。通販カタログでおなじみのヒラヒラスケスケ機能性0%のH下着から、超ミニのファミレスのユニフォームや女子高の制服にナース服、さらには「女王様とお言いっ!」というオネーさんが着るような名称不明下着までそろっている。どうやらこの店は、いわゆるひとつの「コスチューム・プレイ」のための衣装専門店らしい。しかーし、しばらく観察するとそんな女性用の商品はごく一部で、大部分は男性向きのモノであるという、衝撃の事実が明らかになった!。過去40ン年生きて来て、そんなものが地球上に存在することすら思い浮かばなかった、用途不明の衣類の山また山。例えば首からかけるようになっていたり、(以下自粛)の部分が丸くくり抜かれていたり、(以下自粛)が形状のままおさまるように作られた、皮やらシルクやらエナメルやらゴムやらネットやらのパンツ。どうやって着るのかもわからない、頭から全身をすっぽりおおうタイツ。バックルだらけで、体じゅうを複雑に締め上げるようにつけるベルトなどなどなど。こんなもの一体だれが買うんだ!と思ったけど、ごくごくフツーの感じのお客が、ちらほらと来るんだよねー。この店がなぜ新宿3丁目にあるのか納得したころには、もう毒気に当てられて疲労困ぱい。心臓がドキドキしているのは、抗ガン剤のせいだけじゃないな。やっとの思いで使えそうなのを選びだし、レジで「衣装代で領収書下さい。」って言ったら「さっきの人もそうでしたよ。仕事って言う人多くてねー。」と笑われてしまいました。どひ−、バレてるよ。さっそく家に帰ってつけてみたら、海外のサイズだけあって、あっちこっちブカブカだ。しょーがないので夜なべでチクチクと、レザーでパンクな衣装の寸法直し。いったい乳ガン患者が何やってんだろー。


復活編その4

 撮影当日は午前11時に渋谷のスタジオに集合なので、コスチュームの他にもいろいろと必要な小道具を積み込んだ車で、早めに家を出る。荷物はそれほど多くないんだけど、身体に跡がつかないようにとパンツもブラジャーも着てないので、まさか電車でとゆーわけにはいかないからね。ただし万が一交通事故でも起こして死んだ日には、恥ずかしくてとても成仏できないだろうから、運転するダンナにはくれぐれもゆとりをもっていくようにと、キツーく釘を刺しておく。ところが時間に余裕がありすぎて、一時間も早く着いてしまい、なんだかスースーした落ち着きのない状態で、車の中で待つハメに。

 撮影スタッフは友人のカメラマンとその奥さんとメイクさん。それだけかと思ったら、げげっ、アシスタントの若いニ−チヤンもいるじゃないか。こんなの聞いてないぞ。しかし、ダンナも友人も完全に現場モードに入ってしまっていて、ガン患者として体調を思んばかってくれることはあっても、こちらの羞恥心なぞ屁とも考えていないみたい。あの−、いちおう初めての経験なんで、もうちょっと気を使ってほしいんスけどー。しかし撮影が進むにしたがって、かえってその方がヘンに意識しないで、自然にポーズがとれる雰囲気が生まれることが分かった。う−むさすがプロだね。こちらももの造りを生業とする人間なので、1つの作品の完成に向かって動いている現場の空気は嫌いじゃないし。じっくり腰を据えて撮影できるようにと、スタジオを丸一日あけてくれたこともあって、コスチュームを替えたりメイクを替えたりしながら、それから延々5時間にわたって撮影は続いたのでありました。枚数もなんと100枚以上。詳しい内容については、いずれ写真を発表する時まではヒミツだけど、もちろんスッポンポンのもあって、こちらはかなりゲージツ的な仕上がりなのでご期待下さい。しかしさすがに体力を使いきって、翌日はカメラマンともども完全にダウン。

 撮影から一日おいて、抗ガン剤ACの三回目の点滴で湘南へ。ところが血液検査をしてみたら、前回に比べて白血球値が意外なほど下がっていて、結局できなくなっちゃったじゃないですか。とゆーことは、撮影の時のコンディションはサイテーだったってわけ?。たしかにいくら暖房しても寒くてたまらなかったものの、キンチョ−してるのと裸だからと思ってた。そういや、その前の一週間ほどもやけに疲れやすかったけど、シェイプアップのつもりで自宅のストーブに使うマキをとりに行って、チェーンソー振り回したりしていたんだよなー。どうやら撮影に向かってテンションが上がりまくっていたので、調子が悪かったのに気づかなかったらしい。うーん、意外とおだてられると木に登っちゃうタイプだったりして。そもそも抗ガン剤については、副作用がけっこうこたえるのはもちろん、乳ガンに対しては効く患者の確率がそれほど高くないし、複数回やる場合は最初の方ほど効果が高いという話を聞いていたので、この日も前から点滴を受けるかどーしようか、さんざん悩んでやっと決断したほどだ。せっかくやる気ではるばる茅ヶ崎まで来たのに、出鼻をくじかれてがっくりー。そんなわけで、主治医が慎重な姿勢なのを口実にして、わざわざ白血球を上げてまでやることもないだろうと、抗ガン剤はAC2回だけでさっさとやめちゃいました。一応再発率が上がるのでは…と心配したけど、あとで経験者に聞いてみたら、予定通りの回数を律義にやらない人もけっこういるらしくて一安心。

 こうしてあとは慶應で放射線治療を受けるだけとなったわけだけど、ここまで来ると何だか気が抜けちゃった。なんせ今までは、かなりのハイテンションで突っ走って来たからな−。ヌードを撮ったのも、そういう状態をキープしようという狙いもあったし。それがなーんにもやる気が起こらなくなっちゃうんだから、ちょっとフツーじゃない。これって、定年後のオッサンや子供が巣立っちゃったオバサンがかかるという「燃え尽き症候群」か?それとも抗ガン剤の副作用が精神にまで影響を及ぼして来たのか?はたして真の復活はなるのか、刮目して次回を待て!


「仁義なき史上最凶の乳ガン患者」に続く

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