高校2年(東京オリンピックが開催された年)ハワイアンバンドを結成。スティールギターを担当、
メンバーは僕以外は1年生でした。高校は都立化学工業高等学校、工業化学科です。
学校のバンドだけではもの足りず、「ミュージック・ライフ」という音楽雑誌でメンバーを募集していた 大橋英彦さんと松原隆さんに連絡して両方のバンドに参加することになります。
松原隆さんは、東京エコーズというハワイアンバンドのリーダーで当時上野のキャバレーに 出演されていて、僕は毎夜、このバンドでアルバイトすることになります。
ここでは「KEY」のピックギターでサイドギターとヴォーカルを担当させて頂きましたが、 GibsonのL-7が欲しくてたまらなかった頃です。
松原隆さんのバンドを離れてから、35年近くなりますが、2年前のある日、先生から電話が有りました。 「ヒロか?」という声ですぐわかりました。先生は宮崎市内でハワイアンスナックを経営されているという
事でしたが、現在は連絡が取れません。どなたか御存知の方は御一報下さい。
テレビではビートポップス、ソウルトレイン等が放映され、一時はあこがれましたが、 やはりハワイアンからは離れられません。
一方、ラジオではTBSでコカコーラボトラーズ提供「大学対抗バンド合戦」というのがあって、 僕はこの番組に出たくて、一時予備校通いをはじめましたが、すぐ挫折、僕の能力ではやはり‘東大’は無理でした。
この番組は色々な音楽ジャンルの対抗戦で、司会は小島正雄さんでしたが途中から大橋巨泉さんにチェンジしました。 ジャズピアノの八城一夫さんをはじめ、当時、日本を代表するプレーヤーの方々が審査をされていました。
各大学のバンドを掲げたらキリが有りません。とにかくうまかった。格好良かった。 今思えば不思議ですが、この番組にはロックバンドの出演は非常に少なかったという記憶が有ります。
ハワイアンバンドといえば、銀座「タクト」ですが、このステージの出演も夢でしたが、いずれ出演する事になります。 しかし残念なのは、ハワイアンバンドではなかった事です。
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